いよいよ『すずめの戸締まり』の完成を迎えての心境

新海
本当につい数日前まで作っていて、ダビングステージで何度も繰り返しながら微調整をしていたので、急にこの日(10月25日・完成披露試写会)が訪れてしまって、ちょっとまだ分からないですね。今、約5000人の観客が観てるんですよね?
野田
さっきすごく大きな低音が聞こえてきました。
新海
(音響効果の)伊藤瑞樹さんの低音が(笑)。
野田
いいぞ、いいぞと思いながら(笑)。
新海
そうか。じゃあ上映後の舞台挨拶が終わった頃にエゴサーチすれば、感想をポツポツ見れるってことですよね。そのへんから実感が出てくる気が僕はします。
野田
終わってどうですか? 作業中、本当に身を削って弱ったダイジンみたく小っちゃくなっていく新海さんを見てたんですが(笑)、モードとして切り替わるものなんですか?
新海
ダイジンっていう猫が出てくるのですが、鈴芽に「大嫌い」って言われたらどんどん痩せて縮んでいっちゃうんですよね(笑)。「ありがとう」って言われると太るんですけど(笑)。僕も、ありがとうじゃないけれど、観客の声が具体的に聞こえたら戻ってくるかもしれないですね。洋次郎さんはどうですか?
野田
僕もあんまり実感はまだ湧いてないです。
陣内
先週まで作ってましたからね。
野田
やっと届けられるっていうことで、今朝はすごい緊張しちゃって。朝方寝たはずなのに8時半ぐらいに目が覚めちゃって、もうここからは引き返せないんだみたいな不思議な気持ちがありました。あぁここからは何を言われようがちゃんと受け止めなきゃいけないし、もう自分たちだけの小さな世界で楽しんでワーッと作ってたあの感じは終わりなんだなっていう嬉しさ、寂しさみたいなものが今朝襲ってきました。
陣内
僕は昨日初号(関係者向けの試写会)を観させていただいた時はダビングの延長みたいな感覚でずっと観ていたのですが、今日になってやっと昨日完成した作品を観たっていう実感が少し湧いて。それでもやっぱりまだ客観的になれなくてっていう段階ではあるんですけど。監督がおっしゃってるとおり、フィードバックが返ってきて、初めて実感が出来るのかなっていう感じですね。

野田洋次郎・陣内一真の音楽がこの映画にもたらしたもの

新海
どの映画もそうかもしれませんけど、この映画に音楽がなかったとしたら観客は何を受け取ったのか、何を受け取っていい映画なのか整理がつかなかったかもしれないなと思いました。ポジティブにも取れるし、逆にすごく重いものとしても受け取ってしまうような内容も含んでいるから、僕たちが思っていること――出来れば世界をこういう風に感じてほしい、ということを音楽が伝えてくれているとは思います。それは序盤からずっとそうで、『すずめ』という曲のメロディー、十明さんの声、そして洋次郎さんが作った『すずめ』のメロディーを陣内さんがアレンジしたクライマックスの音。あの音楽に、僕たちが世界をどう感じているかっていうことが乗ってるような気がします。あの曲があるから、あのシーンが成り立ってるんじゃないかと。

十明の声と歌について

新海
あの歌声は素晴らしいですね。
野田
最初から話していたわけではないですけど、期せずして劇中で陣内さんも十明の声を何か所か使っていて、僕もサンプリングで使わせてもらっています。十明の声を映画のひとつ柱となる音として捉えていますよね。
陣内
そうですね。一貫したテーマのひとつとしていろんな形で使わせていただく手法を取っていて、要所で使うとこの作品の音楽になるなっていう感覚がすごくありました。
野田
インタビューで「なんで十明さんの声だったんですか?」って聞かれて思ったんですけど、(オーディションの時に)うまい人はいっぱいいたじゃないですか。こう歌ってと言われたら歌える器用な人もいっぱいいて。でも、十明はどっちかって言うとまったく器用ではなかった。それでも「なんで彼女だったんだろう」って思ったときに、たぶん探してた声って、時代性がない声というか、時代を超える声だったというか。100年前もこの人はたぶん歌ってたんじゃないかな、100年後もこの声がどっかで歌われてるんじゃないかと感じるような声だったんだと思います。
新海
彼女の歌って常世の曲でもあり、鈴芽の曲でもあり、鈴芽のお母さんの曲でもあるわけじゃないですか。あの歌声だけ聴いてると、母の声にも聴こえるし、鈴芽の声にも聴こえるし、小さな女の子の泣き声にも聴こえて。そういう声が彼女からは聞こえたと思います。
野田
新海さんも一聴して十明だって決めてましたよね。
新海
最初にボーカルオーディションで彼女が歌っていたときは、緊張で半分泣きながら歌っていて。洋次郎さんがディレクションして持ち上げていくのかなって思っていたら、その場では「あっ大丈夫、ここまででいいです。ボイトレ受けてみるつもりはありますか?」みたいなことを言っていて。あぁもうそういう気持ちなんだ、彼女には今よりもさらにその先があるんだというのをあの場で決めてらっしゃっていて、そこは印象的でしたね。
野田
もう持ってるものは分かったので、あそこから絶対にすごいものになるなって思いましたし。あの声じゃなかったらこの映画の色は少し違っていただろうなっていうのは思いました。
陣内
声の立ち上がりと消え方っていうんですか。彼女の息遣いの感じってこの作品にすごく合ってると思います。その音の消え際というか、息継ぎひとつ取ってもそうなんですけど、ブレスとかすごいですよね。あれを入れないと、あの雰囲気が出ないっていう。
野田
音がないところの存在感ってすごいですよね。
新海
そういう特別なブレスの力っていうのはどこから来るんですか? 技としてですか?
野田
いや、彼女は完全に次の歌を発音するために必要な呼吸なんでしょうね。その力ってものすごいですよね。
新海
お話してると本当に普通の女子高生って感じですよね。
野田
もうちょっと大きい声でしゃべってっていう(笑)。

最終的なダビング作業を振り返って

陣内
ダビングは、物語に対して音楽が先行してるから0.5秒音楽をずらすとか、セリフと効果音とあわさって最終的にお話がどう伝わるかっていうところの微調整がほとんどでした。
新海
大きいところだと、川村(元気プロデューサー)さんが音楽の密度みたいなことをすごく気にしていて。特に神戸の観覧車のところは直前まで遊園地のアクションシーンがあって、観覧車の中にも音楽がついていたのですが、密度的にちょっとここは抜いたほうがいいと。この作業があの現場での一番の大きな工事でしたね。
野田
一瞬、僕も青ざめましたね(笑)。
新海
現場でそれをエディットして。
野田
そうですね。もう最後はどこまでもついていくというか、やれることは全部やろうと決めていたので。ダビングの現場でツールス(=Pro Tools/音楽編集ソフトウェア)で作業出来たので、ちょっと皆さん外に出ていてもらって、そこにある素材で何が出来るか考えて。でもやっぱり神様は見ているものというか、現場でひとつ糸口を見つけられて、ごっそり前半のフレーズはカットしたんです。なんか自然と会話に戻れるような流れを作れて、すごくホッとしましたね。
新海
あのシーンはパート的にはBパートなんですけど、山田(陽)音響監督がいて次に伊藤さんの効果音、洋次郎さんと陣内さんと、それぞれが順番に作業するんですけど、音楽チームのみんながBパートの作業をちょっと1時間くらいやるからと待っていたら、結局4時間くらい待たされた気が(笑)。何が起こってるんだ!?って思いました(笑)。
野田
失礼しました、本当に(笑)。
新海
いや、とんでもないです。4時間後にみんなの作業を終えたパートをもう一回通して観たら、本当にペンキを塗り替えたみたいに、空気を入れ替えたみたいにクリアになっていて。何が起こったんだって、まるで魔法みたいだなと思いました。
野田
あそこまでいろいろ出来るものなんだって思いました。今回、初めてあそこまで長くダビングステージにつきっきりにさせてもらって。
新海
ずっと来てくださいましたよね。
野田
いて良かったなと思ったのは、徐々にチームワークが出てきてるのをすごい感じて。山田さんと(伊藤)瑞樹さんと僕は、最初のほうは探り合いながらやってた気がするんですけど、後半の重要なパートは込められる音のキャパシティが決まってるので、そこでセリフと効果と音楽をどう共存させるかをすり合わせました。2年半前に圧倒的な音楽体験を届けたいっていうところからそこを目指して絶対に叶えるんだっていう話をしていた中で、「あそこで効果を下げましょうか」「でもここほしいよね」「だけど音楽でもうちょっとこのメロディーの部分を聴かせたいよね」「ステム(特定のデータを1つのトラックに書き出した素材)でストリングスの部分だけを上げましょうか」「ここは任せます」「このセリフのところをちょっとだけ避けましょうか」とか、本当に小さい最後の微調整を皆さんと一緒に出来たのが僕はすごいデカかったですね。預け切らないというか、ちゃんとみんなで最後一緒に終わろうよっていう感じで。みんなげっそりしていくけど、でもゴールには近づいてるよねっていう感覚でした。
新海
永遠にやれる作業ですよね。

野田洋次郎と陣内一真──お互いの音楽性の素晴らしさをどう感じているか

新海
それは聞きたいですね。
陣内
洋次郎さんの作られるメロディーのストレートさ、そのストレートなメロディーがすごく作品にマッチしていて素晴らしいなと思いまして。映像音楽の書き方として、いろいろ細かいことをやって画に合わせるのってやっていけばそんなに大変なことではなかったりするんですけど、やっぱり元となるメロディーが良くないと仕上がりとしてはいまいちなものになってしまう。音楽って絵に対して額縁みたいな役割も出来ますし、絵の中の背景でも機能することも出来るんですが、洋次郎さんの書かれた素晴らしいメロディーは、絵の中のキャラクターになっている。
野田
僕は、アビーロードで初めてデモ音源のスコアを見ながら、どうやってあの音楽が作られているのかを一個一個紐解けるタイミングがあったので、感服しました。『君の名は。』でただのロックバンドの人間が劇伴をやるとなったときに、何も知らずにただ手探りで始めて、ロックバンドなりの解釈でオーケストレーションをやったりもして。たぶんそれはそれでひとつの目新しさであり面白さではあったんだなと思いながらも、やっぱりフィルムスコアリングっていうものは専門の職業としてあって、その中で個性を培ってきた陣内さんだからこそ手にしてきたノウノウや技術だったりみたいなものが沢山散りばめられていて、自分がまだ泳いでいない音楽の海の広さみたいなものにすごく感動しましたね。それから色々な質問を沢山させてもらいました。ただやっぱり、真逆だったからこそ面白かったというか、ロックバンド出身の僕は一番最初に4人だけで鳴らせる音楽をどこまで高められるか、どこまで真っすぐ届けられるかっていうところがあって。でも陣内さんが作る曲は、ひとつのメロディーに対して低音だったらそこにものすごい数のレイヤー(さまざまな音色の層)を敷いて、いろんなものを積み上げていて。例えば小さい音量になったときでもちゃんと耳に届くような届け方をしたりとか。あとキャラクターたちの心情に沿ってBPM(テンポ)も自在に操っていて、高まる瞬間にマックスに向かうような、そういうひとつひとつのノウハウだったりとか、感情の描き方みたいなところはちょっとなかなか得られない体験ですごく楽しかったです。
陣内
呼吸なんでしょうね、映像に音を付けるって。映像も呼吸してると思うんですけど、いいタイミングで一緒に息継ぎするといいリズム感が出るっていうところもあって、これは本当、監督の編集のおかげなんです。編集のテンポがすごく作りやすくて、音楽が切れ目で聴こえてくる。ここでこう盛り上がるんだなっていうのがすごく明快でした。
野田
すごいですよね。撮影も美術もセリフもすべてをやっているから、答えが明確にそこにありますよね。旗振り役がものすごい心強いから出来る技だと思いますね。
新海
今のふたりのお話はすごく面白くて、陣内さんがおっしゃるみたいに、洋次郎さんは今作でもそうですけど、近年本当にどこから湧いてくるのっていうくらい次から次へといいメロディーを書かれていて、いいメロディーしかないという意味では、劇中で使うにはちょっと渋滞してるくらいのものもあったり。それで、陣内さんにそれをパスしてメロディーをちょっと抜いてもらう、みたいなことをやっていただいたりもしました。逆に、陣内さんは映像の呼吸、リズムみたいなものにバシッと沿ったものを最初から出してきてくださって、だけどここにもう少し全体を引っ張るメロディーがあればいいなと思わせるところがあると、そこに洋次郎さんのメロディーが入りふたりの音楽が収まることで、ほしかったものであり、なんとなくぼんやり想像していたものよりもずっとカッコいいものになるみたいな場面が何度もありました。音楽ってふたりの個性が明快に出るんだなっていうのはすごく思いましたね。

それぞれに聞いておきたいこと

野田
たくさんいろんな映画の劇伴をやられてきたと思うんですけど、一番異質なというか、この現場で違ったことっていうのは何かありますか?
陣内
そうですね。やっぱり音楽の置き方として独特だなと思ったのは、メロディーの量ですね。メロディーで耳を誘導していくっていう作り方だなっていうのはすごく感じられて。いつもは結構、(一歩引いた音も含めて)大きな音像というか塊というか……。
野田
普段はそのレイヤーみたいなもので構築していく部分がもっと多いってことですね。
陣内
監督がよく耳に届く音っておっしゃっていたのが印象的で、耳に届くものっていうのは面白い一音だったり、メロディーだったり、そこはコード進行ではなくて、主張のしっかりあるキャラクターになれるものということなんですよね。今までそこまで求められることが自分はなかったので、そういった意味で自分にとってはちょっと今までにない制作っていう感じでした。
新海
この先にやれることが結構いろいろあるんだなって、お話聞いていて思いました。じゃあ、次は……って(笑)。
野田
次のことはまだ考えてないでしょ?(笑)
新海
でも出来ることって全然まだあるんですね。
野田
本当ですね。面白いですよね、ものづくりって。でも、作画のクオリティというか、あそこまでの突き詰め方をされて、僕ら素人目から見るともういよいよ情報量としてひとつの到達点にきたのかなっていうふうに『君の名は。』『天気の子』も含めて思っていて、今回はよりそういう凄みも感じました。
新海
音楽で聴こえるものにしても限られていて、周波数も上から下まであって、その中で全部同時には届けられない。絵も近いところがありますよね。どんどん情報量を高めていくこと自体は出来るけれど、高め過ぎちゃうと逆に届かなくなっちゃうから、そこは難しいところで。とはいえ、音も絵も、前より少し上のものを出していきたいと思うと、密度というのは要素として大きかったりするから、それを武器として使ったりもしますよね。
野田
次に実写とか撮るのかなと思って(笑)。
新海
実写はもう全然イメージが湧かないです(笑)。
野田
いやいや、新海さんの目と耳と感覚があったら、実写もいつか見たいですけどね。
新海
だけど、『すずめの戸締まり』はやっぱりアニメだから出来た映画っていうのはすごく思いますね。
野田
あの先にどんな境地があるのかなって。作画、美術……。
新海
そういったアニメの要素は全部、物語を届けるためのものだと思うんです。みんなの力を結集して作るアニメで、どんな物語を届けるのかっていうところはたぶん一番考えなきゃいけないところだなとは思いますね。
野田
2年半以上前、まだビデオコンテが来る前に、ミミズとだけ書かれた脚本を渡されて、「なんか曲を作れませんか?」って言われて(笑)。ミミズ……ダイジン……いやいや、まぁ、はい……っていう2020年春から秋に掛けての感じが、今ものすごいものになって。これをイメージされてたっていう。もうちょっとだけそのイメージを共有してほしかったです(笑)。
新海
絵も音楽と同じで、いろんな担当者が平行して作業しているんですよね。そうしてパーツがちょっとずつ出来て組み合わさってから完成形が見えてくるので、最後の最後にならないとなかなかそれが具現化されないんですよ。
野田
でもあのミミズのシーンとかはひとつご褒美みたいでした。どんな姿なんだろうと思いながら2年間作って来たので。凄すぎて、なんか絶句しますね。
新海
嬉しいです。でもアニメーターや絵のスタッフたちも、音に対してきっと同じことを思ってますよ。
陣内
絵の作業をされている方たちは、音をずっと聴かれてたんですかね?
新海
上げてくださるデモ曲の中から、これでいこうと決めたときにビデオコンテに乗せるんですが、そのビデオコンテを常にスタッフに共有していて。だから絵のスタッフも、どういう曲が流れるというのはある程度把握はしているんですけど、レコーディングされた曲というのは今回の初号で初めて聴いたので、「こんなにすごい音楽が出来たんだ」ととても驚いていますね。
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